常盤橋のたもと、地域歴史性
常盤橋のたもと、地域歴史性
Fralito-Fwalitoが店を構える北九州市の小倉は慶長13年(1603年)に細川忠興が築城して以来の古い城下町です。
鍛冶町、堺町、そして魚町、京町の呼称が物語る様に商人の街でした。
紫川の河口から昇ってきた漁夫は神嶽川を入ってきて、旦過橋のたもとに魚をあげていたと言われています。
また小倉は長崎街道の東端である常盤橋を擁し、徳川幕府の厳しい鎖国令の中、唯一のフリーポートであった長崎は出島からは砂糖が輸入された関係もあり、街道沿いには長崎のカステラをはじめ多くの歴史ある製菓店が今なお残存し、現在はシュガーロードとも呼ばれています。
長崎街道は砂糖の他にも多くの西洋文明が取り入れられ、江戸時代、鎖国していた日本におけるシルクロード的な役割を果たしてきました。
西南大名の行列やお伊勢参りの一行、異国情緒豊かな甲比丹(オランダ商館長)を先頭に百数十名からなる紅毛人や南蛮人、時には将軍吉宗にベトナムから献上された象や駱駝、孔雀がこの常盤橋を通過したという記録は歴史書等より読み解くことができます。
街道筋の人々や豊前国城下町小倉の町衆もきっと目を丸くしてこれらを眺めていた事でしょう。
Fralito-Fwalitoがある小倉の常盤橋界隈は江戸に例えると日本橋。
シュガーロード始発点小倉宿のあったお店として皆様に幸せを感じて頂けるようなスイーツをお届けしたいと考えます。
九州各地から人の多く行き交う商業の街でした。
香春口、中津口、清水口門、筑前口、大門などの地名が物語る様に、当時の政治、経済、交通の要として、歴史上重要な役割を担って参りました。
参勤交代の通過点として、又長崎街道の始発点であり終着点として国内外の情報が流入する城下町であったのです。
現在アジアの拠点都市として発展著しい福岡県ですが、今も昔も変わらずに、遠く旅して来疲れた足と心を癒せる、幸せや感動を提供できる。
そんな街でありたい、店でありたい、人でありたいと願います。